「今度は、本当に歴史編だよっ」
「ミキ、歴史編ってウチに何言わすつもりやねん?」
「Gamくんも、小さい頃から魚釣りばっかりしてたんじゃないでしょっ?」
「そらそうやけど・・・」
「結構色々なコトしてたみたいだし、そんなのも思い出して、振り返ってみようよねっ」
「なんかちょっと恥ずかしいぞ」
「いいのっ!ミキも知りたいし、じゃぁ、始めるよっ」
「あのなぁ・・・」
「まずは、小学校くらいから行こうかなっ、それより前だと覚えてなさそうだし」
「うーん、何言うたらええねん?だいたいやな、ガキの頃に特記事項なんかないぞ」
「じゃぁ、魚釣りの話でもいいよっ、初めて釣ったのとか」
「そうやなぁ、小1か小2の頃に、工場長に連れられて淀川にハゼ釣りに行ったのは覚えてるけどなぁ」
「出たっ、工場長っ(笑)、釣れたのっ?」
「その時は結構釣れた記憶がある、で、次の週も行ったけど、全然釣れへんかったはずやわ」
「覚えてるんだねっ」
「記憶力はいい方やからな」
「ハゼって、今のライギョみたいな釣り方はしないんでしょっ」
「ああ、虫エサやな、ゴカイ使うねん、ミキ、『奇人変人』みたいにゴカイ食わせたろか?」
「バカっ・・・、じゃあ、初めてライギョ釣ったのはいつ頃?」
「うーん、小3か小4やろなぁ、兄貴に助けてもらった記憶があるわ」
「へ〜っ、そうなんだっ、じゃぁ、それからずっとライギョ釣ってるの?」
「いや、そんなことはないぞ、釣りそのものをやらんかった時期も長いからなぁ」
「ふ〜ん、Gamくんといえばっ、巻きにくい左巻きのリール使ってるんだけど、あれっていつ頃からなのっ?」
「なんや、巻きにくいか?」
「だって、ギクシャクするじゃんっ」
「修行が足らんわ(笑)、左ハンドルは中1や、『シマノバンタム21SGマグキャスト』ってヤツ、右ハンドルのベイトリールは小5ぐらいに『ダイワファントムST-15』を買ってもらったんかなぁ」
「じゃぁ、もう20年は超えてるよねっ」
「アホの一つ覚えみたいなもんやな、でもな、『継続は力なり』って言うし、自分ではなかなか使いこなしてるとは思ってるぞ」
「じゃぁっ、中学校の頃の話してねっ」
「『飛ばせ、鉄拳!』で実験する池にな、ほぼ毎日釣りに行ってた、あのころは結構いいヒシベッドやったなぁ」
「釣れたのっ?」
「いいや、あんまり釣った記憶ないわ、でもな、毎日左ハンドル巻いてたら慣れるぞ、あんなもん」
「そうなんだっ」
「あとは、ロッドビルド始めたのも中1やったけどな、『ラミグラス』の古いカーボンブランクに、フジのSiCガイドセットと脱着式グリップの組み合わせや、これはバスロッドやけど、今もそのブランクは裸にしてるけど持ってるわ」
「竿作ってるの見てると、なんか、難しそうだねっ」
「ファイナルダムン本編でも述べたけど、そんな難しないって」
「でも、気に入らなかったら、『うぉー』って結構叫んだりしてるじゃんっ(笑)」
「気ィ短いねん、それでな、2本目の竿が『フェンウィックのボロンX』で組んだライギョ竿な、バットから5センチのとこでヘシ折れてしもたけど、まだ持ってるわ」
「え〜っ、竿折ったんだ!」
「ウチやないぞ、兄貴や」
「ふ〜ん、それじゃぁ話変わるけどっ、Gamくんの初恋っていつ頃なの?」
「はぁっ?」
「初恋じゃん、中学だったら、それくらいするでしょっ」
「・・・」
「あ〜っ、Gamくんって、もしかして、恥ずかしいとか?意外にかわいいとこあるんだねっ(笑)」
「・・・そんなもん、言えるかいな」
「え〜っ、それって変だよ、ミキは言えるよっ、小学5年の時なのだっ」
「ふーん、ほんならなぁ、ミキ、『初体験』はいつやねん」
「・・・!」
「ぎゃはははは、それくらいにしとこうや、お互い」
「もう〜っ、悪魔っ!鬼っ!」
「なんぼでも言えって、あとな、中学の頃に目ェ悪なって眼鏡かけたんやけど、勉強とかゲームのしすぎじゃなくてな、釣りの本の読み過ぎで目ェ悪なったんや」
「あれっ、Gamくんって、眼鏡かけてないじゃんっ」
「コンタクトや、『カムルチィチューン』のな」
「えっ、それって何?」
「視力合わせる時ってな、普通はじーっと見て合わせるんやけど、ウチは、まばたきして一瞬だけ見て判断するんや、そしたらなぁ、じーっと見て合わせた時よりも矯正視力が良くなるんや、だから、コンタクト作った時なんか矯正視力2.0あったんやで」
「そうなんだっ」
「ヒシのカゲとか、枯れたアシに紛れたカムルチィ見切るのに、そんなこともしてるんや、今でも矯正視力1.5はあるから、普通の人より見えるはずや、じゃぁ、次行こか」
「高校の時ねっ、登山してたっていう」
「『シュツルムフォーゲル』ばっかりで、ほとんど釣りせんかったわ」
「ワンダーフォーゲルでしょっ(笑)」
「少なくとも、カムルチィは釣ってなかったなぁ、せやから特記事項は無し、バイトもせんかったし」
「バイトもしなかったのっ?」
「ああ、自分の時間切り売りする気なかったからなぁ、工業高校やから女っ気も全然なかったし、たまに中学の連れとバス釣りに行ったぐらいかな、あと、学校さぼってバス釣り行ったコトもあったっけ」
「え〜っ、そんなコトしてたんだっ」
「あとはなぁ、授業中、先生の似顔絵書いて回覧してたわ」
「絵も上手かったのっ?」
「ああ、1回見つかったんやけど、あまりにも似てるもんやから、先生笑ってたわ」
「結構いろんなコトできるんだねっ、やっぱ手先が器用だからかなっ」
「そうやね、親には感謝してるわ」
「それじゃぁ、次は大学編ねっ」
「いや、ウチは大学には行ってない、高校出てすぐ勤めに出た、工業高校やからな」
「そうなんだっ」
「大阪、いや、家から出たくて名古屋に行ったんや、ただ、やっぱりこの時も釣りはあんまりしてない、海部郡行ってカムルチィ攻める、って発想はなかったな」
「じゃぁ、何してたのっ?」
「まずはクルマやな」
「どんなクルマ乗ってたのっ?」
「ランサーやわ、A175A、俗に言う『ランタボ』な」
「ランサーって、空飛びそうな羽根とかっ、穴がいっぱい開いてたりするクルマのことっ?」
「そら、『ランエボ』やんか(笑)、『ランタボ』っていうのは弁当箱みたいな四角いクルマや、それで、次が『マーチ』やな」
「それって、かわいいクルマじゃないのっ?」
「あの頃はなぁ、『マーチR』っていうラリーバージョンがあったんや、スーパーチャージャー&ターボチャージャーに5速クロスミッションで、あと、ライギョ竿みたいな硬い足回りのな(笑)」
「もしかして、Gamくんって、走り屋だったのっ?」
「面白いクルマやったけど、『マーチR』半年ちょっとでコワしてやめた、命いくらあっても足らんって思ったからなぁ、それからは原チャリやねん」
「普通は逆じゃんっ」
「それがウチのええとこやんか、原チャリはいっぱい乗ったでぇ、まず、ヤマハの『キュート』や、これはピンク色のスクーター」
「え〜っ、ピンクって、Gamくん似合わないよっ」
「ええねんって、『キュート』にチャンバーやらパワーフィルタやらつけてイジってたんやけど、素人やから何も知らんのや、何回エンジン焼いたかわからんかったわ」
「やっぱ、改造するんだっ」
「機械いじりって言うのが好きなんやろな、で、『キュート』はキャブセッティングやらいろんなコト勉強になったなぁ、実験とか人柱っていうのはこの頃からやな」
「ふ〜ん」
「次はヤマハの『TDR50』ってミッション車、ONもOFFもいけるってヤツ、これはノーマルでも充分速いからリミッター解除しただけや、『TDR50』は名古屋〜鳥取・真夏の8時間耐久ツーリングなんてのもやったけどなぁ」
「結構距離あったんじゃないのっ」
「片道400キロやな、そんで、帰りに栗東で白バイに捕まったんや、37キロオーバーで一発免停・・・」
「プププっ」
「笑えや、結局『TDR50』は会社の後輩に売った、次はこれもヤマハで『JOG』な」
「JOGって、今でもあったよねっ」
「連れが乗ってないのをもらったんやけど、これがな、『規制前』ってヤツで、スピードメーターが70キロまであるんや」
「えっ、原付って60キロじゃないのっ」
「だから『規制前』なんや、これはメチャクチャイジったなぁ、『チャンプ80』エンジンを100ccまでボアアップ&ポート加工、チャンバー、ビッグキャブにハイプリやら駆動系一式かえたやろ、『JOGスポ』のフロント周りにステダンつけたりして、考えられること全て改造したんや」
「・・・」
「100キロは出せたぞ、測定したワケちゃうけどな」
「え〜っ!、100キロも出したら怖くないのっ!」
「気にすな、次がスズキの『GAG』や、これはな、4サイクルのレーサーレプリカもどきってヤツで、ノーマルやとムチャクチャ遅いんや、それでな、ちょうど名古屋の南海部品に『ヨシムラのスポーツキット』が売ってたから、これ組んだらメチャクチャ速くなってなぁ」
「どのくらいなのっ?」
「これも100キロは余裕で出せた、メーター1周したぞ」
「狂ってるっ・・・」
「次はホンダの『ベンリィCD50』やな、これも連れが乗ってないのをムリヤリ強奪した、こっちはエンジンノーマルやったなぁ」
「『ベンリィ』って変な名前だねっ」
「本田宗一郎が『便利やからベンリィ』ってつけたんと違うか?」
「誰っ?」
「ホンダの創業者、で、ウチらが『ベンリィ』乗ってた頃は、今みたいにレトロ系の単車が流行ってなくてなぁ、指さして笑われたんやで、それが今では若い子が乗ってるのんを結構見かけるからなぁ」
「他の人がやらないコトするって感じかなっ?」
「そうや、それが基本やな!で、ちょっと長くなったから、一旦休憩しようか?」
「うん、そうしよっ」
さぁ、次回も名古屋編、続きなのだっ