「未来のライギャーに贈る管理人からのメッセージ」などと、いきなりワケのわからないことを言い出す始末なのだが、要は2007年のテーマである、「お気楽&お気軽&適当に」っていうのを実際にやってみる。やはり管理人は口先だけじゃないのだ。ファイナルダムンの構成上、名目的に「次世代の若い子達に残す」ってことにしてるけど。この辺については「ベアリングについてのエトセトラ・放課後・・・」で述べてるので、ちょっと見てくれたらなぁ、なんて思ってる。で、なんでそんなことするの?管理人流の表現であれば、
もう、自分らだけがガツガツ魚釣ったってしゃあないやん
そんな意味不明な理由だったりする。大阪時代の管理人が実際に肌で感じたのだが、周辺環境の悪化、これに尽きるだろう。池の水抜きとかでライギョ釣りができなくなってしまう、終わってしまう恐怖感、ってのを実感しているのだ。釣り本来の目的って魚を釣ることなので、他人のことはどうでもいいに決まっている。でも、ファイナルダムンを開設したのも「終わる前に残す」ことが目的だから、当初からそういったことは考えながらファイナルダムンを進行させている。2ピースライギョ竿とかね。でも、終わる前に精一杯魚を釣る、ってのも考え方の一つだと思う。だが管理人はそっちじゃなくて、カタチとして残す方を選択している。なぜ?それはね、管理人の生き方そのものと大きな関連があるのだが、現状、管理人には嫁さんはいない。恐らく今後もそうだろう。なので、本来残すべき子供がいないから家も残す必要がない、お金も残す必要がないのだ。でも、それだけじゃぁ生きてても何も面白くない、やはり生きている証明を残したい。そう、管理人の生きている証明こそがライギョ釣りだったりする。そんな深刻な理由があったとは、信じられないと思うだろうが・・・
あと、考えられるコトとしては、
アホすぎて意味が理解できんわ・・・
冗談はさておき、ただの「余計なお節介」としか思えないこの作戦、元々管理人自体が「いらんお節介焼き」とでも言うのか、自分に何もメリットがないのにやってしまうような人だからこんなムダなことを平気で考え、そして実行したりするのだが、やはり、今のライギョ釣りに対しての想い、「敷居が高すぎる」ってのがあるのだ。上を見ればキリがないけど、道具一揃えでナンボするねん、と思ってしまう。あと、制約の多さも更に追い打ちをかけているような気がするぞ。それだと「ホントはライギョ釣りしたいねんけどなぁ」と思っても躊躇してしまうかも知れないよね。まぁ、値段の高さは釣り具業界そのものの問題だから難しい面はあるのだが、それでも管理人なりに考えているよ。
「制約の多さ」って話が出たけど、本当に真剣に考えての自主規制なら別に構わないと思う。でも、「人に言われるから」とか「これがライギョ釣りのルールだから」とかだったら全然面白くないよね。なので、そのあたりはもう一度、自分自身で真剣に見直してほしい。ホントに必要なのは何か?そのルールの目的はいったい何なのかを。その結果が人と違っても目的が達成できれば別にいいんちゃうかなぁ、なんて思っている。だから、管理人も「ライギャールール」は改めて検討しているよ。
あと、そこまで考えても「ライギョ釣りはそんな安易な釣りじゃない!」なんて意見も聞こえてくるかも知れない。であれば、管理人は、もう一つのスタイルである「極限を目指すライギョ釣り」ってのをプレゼントするぞ。こっちはめっちゃえげつないからなぁー。なにしろ誰も思いつかない管理人の変態コンセプトとオーバーテクノロジーの集合体だ。コイツはどこに出しても決して見劣りするようなシロモノではない、そんな自負があるのだ。まぁ、極限を目指しつつも、難易度を下げることもできるってヤツ、変幻自在の余裕のなせる技だよね。
そんなこんなで色々考えての別名「PUNK IT UP作戦」なのだが、今後の方針としては、「リール編」、「ロッド編」、「ライン編」、「フロッグ編」、「スタイル編」なんて感じで、ファイナルダムンの中にもう一つファイナルダムンが存在するかのような方向を考えている。さすがに「自己紹介」とかはムリだけどね。とりあえずちょっとだけ解説すると、
どうにもこうにも計画倒れに終わってしまいそうな予感がするのだが、何とかしてやっていきたい。でもなぁ、やりたいコトっていっぱいある、これだけじゃないから、さてどうなるコトやら・・・(2007/5/2更新)