いよいよ、メッキ釣りコーナーを開設。
メッキですらフローターで釣るのだ。これはカスミアジ
また話が長くなるが、管理人とメッキの出会いを少し。
初めてメッキを釣ったのは2001年の9月、奄美大島での出来事だった。その存在は知っており、関西なら和歌山は日高川河口でのカセで、シラサエビを撒いて釣るのが有名なこと、魚自体はヒラアジの幼魚でそのファイトぶりは、サイズ不相当の引きを楽しめることなど。当時ようやく定職に就き、仕事も安定しだした頃、盆休みとは別に1週間の夏期休暇が所得できる(お盆は仕事だから)とのことで、思い立ったのが離島遠征だった。で、奄美大島でルアーを投げよう、釣れるのなら何でもいいや的発想で、何も考えずシーバスロッドとベイトとスピニングの計3本持って行った。地元の親切な釣具屋さんで状況を聞く。(以下、記憶をたどって)
管理人・・・「ルアーで何が釣れるんでっか?」
おばちゃん・・・「名瀬港でシイラが釣れることあり、マングローブならナンヨウチヌが釣れる、手軽に楽しむならどこそこの港でガラの小さいのなら、大きいのは難しいよ」
管理人・・・「ガラってどんな魚?」
おばちゃん・・・「ロウニンアジとかのこと」
管理人・・・「メッキやったら納得、で、どうやって釣るのん?」
おばちゃん・・・「メタルジグを引いたら釣れるよ」
管理人・・・「ほな、メタルジグちょうだい、持ってきてないんですわ」
ヨーヅリのブランカ7gと12g、マリアのラ・フェスタ7g、アシストフック化するためのチヌ針を購入し、「メタルジグやったらベイトやで」との勝手な思い込みでベイトタックルを選択、翌日の昼から教えてもらった港へと原チャリをリミッターが利くまでぶっ飛ばした。人っ気のない港で先客はおらず、足元を見るとアオリイカが浮いていたので冷やかし程度にエギを投入するがシカトされる。「まあええわ、今日はコイツらちゃうねん」と気を取り直してメタルジグを投げては引くを繰り返す。だが、釣れないのだ。途中、足元にちょっと大きめのロウニンアジが回遊してきたのでちょっかいをかけるが、これもシカトされたりと休憩しながら夕方近くを迎える。
突然ヒットした。何か知らないが結構な引きだ。で、取り込んでみると手のひらクラスのメッキ。「何でこんなに引くねん」と思った。さすがに重量感はないものの、馬力で突っ走る感じだ。次は「さっきはどうやったっけ」と思いつつ表層を引いてみると、メタルジグに魚が群れでアタックしているではないか。「なんや、なんや、なんや、これ」で、ヒットする。またまたよく引くこと。さらにヒットした魚自体を群れで追いかけてくる。「じゃあこれは」と今度はメタルジグでバジングだ。引き波を立てて通過するメタルジグに対して、水面に出て連続アタックをかけてくるのであった。それからしばらくは至福の時を迎える・・・
その後、地元のオッちゃんがサビキでメッキを釣りにきた。我々本土の人間がサビキでアジを釣る感覚だ。アジの一種だから間違ってもいないし、当然ダブルやトリプルで釣れたりする。見ていたら竿がメチャクチャ曲がっているのである。オッさんの域に達しかけようとしていても、魚釣りでこの日ほど強烈なインパクトを受けた経験はない。ガキの頃カムルチィを初めて釣ったとき以来だろうか。
この遠征で、管理人の中で何かが覚醒する。遠征から帰ってきて速攻でメッキ竿を作成し、毎週のようにメッキ釣りに行った。次の年からは9月は沖縄遠征へ、それ以降はメッキを追いかけ回すため紀伊半島を1周したり、神戸メッキにアタックをかけたりと、この時期にライギョ釣りに行くことはなくなった。
そんな釣り人生を大幅に変えてしまったメッキ釣りのタックルたち。初めのインパクトがあまりにも大きく、ほぼベイトタックルのみだ。
リール編
ロッド編
ルアー編
メッキ狙いならまずはミノーでの高速トゥイッチが一般的だが、2004年まではほぼメタルジグとポッパーのみで通してきた。2005年になりようやく高速トゥイッチに目覚める。色々使ったがお気に入りだけを列挙。釣れるときは何でもOKだと思う。
ライン編
一般的はモノフィラ4lbs+ショックリーダーかな。でも管理人はファイヤーラインを使う。カムルチィのクセが出たのかもしれない。普通のPEに比べてスプールに喰い込みにくく、糸と糸がへばりつきにくいのでベイトでのマイクロルアー使用には最適か。本土メッキは8lbs、遠征なら16lbsを使う。ショックリーダーは今のところフロロだ。
あとは実際の釣りやタックル解説を、画像を交えながら実施。特記すべき事項は、このページから飛ばすようにリンクを作成する。(2006/1/9更新)